東海道を歩く 14 新居~白須賀~二川~豊橋(吉田) 221009


7:43 宿舎中庭 浜名湖のリゾートヴィラで一晩を過ごす
空はどんよりしているが、暑くないので、良しとする
夏のころと違って、とても歩きやすい 汗の量が違って快適!
今日は難所の潮見坂が待っているけど、体調もよく(昨夜の鰻効果?w)
歩く距離も増えるかなと、軽い期待感
東海道を歩いている人も数人見受けられた
秋祭りの真っ最中で、道行く神社は旗を立てているところが多い


暗くなってからチェックインしたので、朝のイメージにびっくり

8:50 新居発 日本橋から283km


新居の関所(9:00)浜名湖は1498年の明応の大地震で海を隔てていた陸が決壊し、遠州灘とつながった。 海水が流れ込む部分を今切と呼ぶようになった。江戸時代の東海道は・今切の渡しとして浜名湖を船で渡った。 今切は、人の往来や物流を取り締まるには格好の場所にあったため、家康は西側の新居に関所を置いた。 江戸の防衛が目的だった新居の関所は、箱根の関所よりもさらに厳格なチェックが行われ、「入り鉄砲に出女」に加え「入り女」にも手形が求められてわずかな不備でも通行がゆるされなかったという


新居宿の街並み(9:02)


スーパーかきこや(9:04)早朝からなかなかの賑わい


町はずれの松並木(9:22)


比翼の歌碑(9:35)阿仏尼・前大納言為家の 悲恋の歌碑
阿仏尼は鎌倉中期の歌人藤原為家の側室で、『十六夜日記』などを著したことで有名です。
石碑には、以下のように刻まれています。
「風わたる 浜名の橋の 夕しほに さされてのぼる あまの釣舟」 前大納言為家
「わがためや 浪もたかしの 浜ならん 袖の湊の 浪はやすまで」 阿仏尼


風車が見える(9:56)


旧白須賀宿の街並み(10:05)白い砂州の上に開けた集落という意味の白須賀宿だったが、
1707年の大地震と津波の被害を受け、潮見坂の上へとうつされた。
街道沿いに間口の広い家が並び、ヒサシと縁側を支える柱と土間が特徴的な家が並んでいる


内藤家長屋門(10:09)


潮見観音・蔵法寺(10:14)
1654年遠州灘で漁師の網にかかって出現したとされる潮見観音は秘仏で
60年に1度しか公開されないという


いよいよ潮見坂(10:21)結構勾配がキツイ
国道1号線の豊橋から浜松に抜ける潮見峠は、昔ずい分通った
つらい峠道をイメージしていたが、…


潮見坂から見た太平洋 これが見たかった!さよなら遠州…


明治天皇聖蹟碑(10:30)ここまでで上りも終了!
思ったより、早く着いた

白須賀宿の集落(10:37)この先はなだらかな下りで、拍子抜け

10:45 白須賀本陣


静岡・愛知県境(11:01) 静岡県ながかった~~~😢でもちょっと寂しい…
白須賀宿を抜けてからは国道沿いに進む ずっとなだらかな下り


国道1号線と合流(11:04)長く続く国道、途中久方ぶりのコンビニで水分補給、
2件目のファミリーマートでラーメンのイートイン
なだらかな下り道

二川宿本陣まつり 大名行列で有名 なかなかの賑わいでしばし見物

12:30 二川宿 祭り


二川宿案内板(12:42)東海道二川宿は,江戸日本橋から33番目の宿駅。 豊橋市中心部のもうひとつの宿場町、吉田宿とは異なり、旧宿場町の面影が現在も各所に残っています。 かつての本陣や旅籠が「豊橋市二川宿本陣資料館」(有料)として整備されているほか、宿場で有数の商人だった田村家の店舗兼住居の「駒屋」を平成24年から3か年の復原改修工事を行い、平成27年11月1日から一般公開(無料)されています。 商家「駒屋」の公開により、二川宿は本陣・旅籠屋・商家の3か所を見学できる日本で唯一の宿場町となりました。


二川本陣資料館(12:44)

二川本陣資料館(12:44)

12:45 二川宿本陣
この後、二川駅を通り過ぎると急に疲れも出てきた、目標の300km地点もクリアしたし、その後はあまり写真も撮らずに、ひたすら豊橋(吉田宿)を目指すことにする 町中の道であった

二川から1時間半ほどひたすら歩いて豊橋駅に
まだ時間は早いが明日の元気な仕事のために帰路に就く

14:23 豊橋駅
日本橋から304km

東海道線で帰路に就く
豊橋駅でちょうど始まった赤い羽根募金に応じ、係りの女学生につけてもらいました 

東海道を歩く 14 新居~白須賀~二川~豊橋(吉田) 221009:18.1km

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