東海道を歩く 15 豊橋~御油~赤坂~~藤川~岡崎 221105


今回は新幹線を利用して、岡崎に1泊の予定で、豊橋~岡崎~豊明のコースを歩く
こちらもかつての営業マン時代のテリトリーコースで、だいたいの土地勘はあるし、思い出をたどりながらの旅が楽しみだ!
起点が豊橋なので、新幹線一本でラクラク☺
始発のひかり号はけっこう空いているし、ゆっくり英気を養うにはちょうどよい時間帯w
今日も天気はよさそうだ


6:21 今回は始発の新幹線ひかり号に乗って豊橋へ


新幹線車窓から
ずっと東海道を歩いているのに富士山はなかなかお目にかかっていない 久しぶり!


8:20 豊橋駅から10分ほどで東海道に出る 快晴になった🌞


8:22 豊橋(とよばし)秋も深まり、早起き女学生の影も長い
江戸時代、ここには全長200mを越える吉田大橋という木造の橋が架かっていた
岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋とともに東海道三大大橋と言われたという


豊川を渡ると対岸の豊橋市内が一望できる


8:40 ヤマサン 元禄16年創業の菜種油商 隣の家屋


9:36 小坂井駅 ここも昔、某光学メーカーのお客さんの事業所に通ったっけ…


11:40 大社神社 三河国府の総鎮守


11:46 姫街道分岐 秋葉山常夜灯
姫街道は古くは秋葉神社や鳳来寺、長楽寺への参詣道として、歴史ある道だった
見附・または浜松から浜名湖北側を抜け、三ケ日を通過するルートの合流点でもあり、
この先の御油宿は小さいながらも、大いに栄えたという


11:49 御油橋  ここより御油宿
吉田宿から10.3km 、赤坂宿まで1.7km  本陣4軒、脇本陣0軒、旅籠62軒
城下の吉田宿に比べ、気楽な宿として大いににぎわう
飯盛り女も多かったようだ(下の絵)


強引な留め女 わずか1.7㎞しか離れていない赤坂宿に客を取られまいと必死だった?


12:02 天然記念物御油の松並木の始まり
1604年に植樹された三河黒松600本のうち350本が残っている


12:18 赤坂本陣
元々、御油と赤坂の宿は旅籠を80軒もかかえる一つの大きな宿場だったが、
余りにもおおきかったので、家康の命で間に松が植えられ2つの宿場に分けられた
京から下る大名行列は赤坂を、江戸から上るさいは御油を利用するという掟があったようだ
赤坂も飯盛り女が多く、羽を伸ばしたい旅人でにぎわったという


13:04 立信寺参道口 1859年建立の常夜燈


13:36 法蔵寺  間の宿 本宿にある松平家ゆかりの寺
参勤交代の大名たちは必ず下馬して参詣したという
本堂裏に新選組局長近藤勇首塚かある。したという勇は下総流山で官軍に捕らわれ、
中山道板橋の刑場で斬首になった。首は塩漬けにされ京の三条河原に晒された。
3日目の晩に同士がこれを奪取し、ひそかにここに埋葬したという


14:34 しばらく国道1号線を歩く
20代のころよく通った取引先会社の脇を通る(屋上看板)
ともに頑張ってきたんだなーーーーー😂と涙が出るほど懐かしい


14:54 藤川宿


15:01 藤川宿 市場町格子造りの家並


15:58 山綱川と竜泉寺川(生田川)合流地点は源氏蛍で有名(天然記念物 岡崎源氏蛍)
「草の葉を落ちるより飛ぶほたるかな(芭蕉)」
秋も深くなり、早くも夕暮れが迫ってきた


16:52 岡崎公園に入る
くねくねと曲がる二十七曲がりの岡崎宿はわかりにくかった
対岸は浄瑠璃が淵


17:08 竹千代通り


17:10 岡崎城 ライトアップ

目標の岡崎まで楽しい旅だったが、宿泊は岡崎でとれず一駅はなれた岡崎公園前(とはいえ岡崎公園からはだいぶ離れている)まで歩く 今風の洒落たホテルだったが周囲にめぼしい店はない
ホテルのロビーではコンビニ袋を下げた客も多かったが、ここまで来て孤独のコンビニ弁当ではよい旅の思い出に傷がつく
よし!とソッコー🚿シャワーで汗を流した後、中心街の東岡崎まで戻ることにした


18:22 寂しい岡崎公園前駅
ひとまず、ホテルに着いてから再び、岡崎公園前駅から東岡崎駅まで移動✊ファイト!


岡崎の中心部東岡崎駅前 さすが繁華街で地元の若者たちでにぎわう
ちょっぴりたじろいでいたがw、昔通った居酒屋風来坊の看板を見つけ飛び込む😂

風来坊にて懐かしの名古屋名物🐓手羽先揚げを注文 美味かった!
東海道を歩く 15 豊橋~御油~赤坂~藤川~岡崎
20221105:28km(+東岡崎まで戻ったりで35km:最長不倒)

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